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眞子さま

[皇室・ペルー]眞子さまが視察したマチュピチュの発展に貢献した初代村長・内野与吉さんとは?

マチュピチュ村長マチュピチュ村の初代村長、野内与吉氏

 

眞子さまがペルーの世界遺産、「空中都市」として知られるマチュピチュを訪問されていました。

永らく廃墟として放置されてきたマチュピチュ遺跡を、世界有数の観光スポットとし、マチュピチュ村の発展に貢献した初代村長は、なんと日本人の野内与吉氏でした!

マチュピチュ村を発展させた初代村長は日本人!

ペルーで世界遺産のマチュピチュ遺跡を視察される秋篠宮家の長女眞子さまペルーで世界遺産のマチュピチュ遺跡を視察される秋篠宮家の長女眞子さま=2019年7月13日(共同撮影)

 

ペルーを公式訪問された秋篠宮家の長女眞子さまは、13日午後(日本時間14日未明)、「空中都市」として知られる世界遺産のマチュピチュ遺跡を視察されました。

日本人が村長を務めていたマチュピチュ村も訪れ、村長の子孫らと交流を深めたとのことです。

そう、マチュピチュ村の初代村長は、日本人の野内与吉氏だったんです。

眞子さまは野内与吉氏の孫や現在の村長らと懇談

マチュピチュ遺跡は15世紀初めに建設されたとされるインカ帝国時代の遺跡で、クスコから北西約110キロの断崖絶壁の山頂(標高約2,400メートル)にあります。

眞子さまはガイドの説明に熱心に耳を傾けながら、約2時間、遺跡を見て回ったということです。

高台から遺跡を眺めた眞子さまは、

「言葉にできない何かがありますね」。

遺跡内の神殿や水路なども視察し、

「石の組み方が、とてもきれいですね」と感心した様子だったとか。

眞子さまはその後、麓のマチュピチュ村で、戦後すぐに村長を務め、村の発展に貢献した野内与吉氏の孫で日系人の野内セサル良郎さん(43)や、現在の村長らと懇談したそうです。

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野内氏派マチュピチュ地区の行政最高責任者に就任、村長に

 

野内与吉
1895年裕福な農家の家に生まれる。
1917年、21歳のときにゴム景気で湧くペルーに移民し、1923年よりペルー国鉄で勤務。
マチュピチュまでの鉄道建設に携わったのを契機にマチュピチュに移住。
1939年にマチュピチュ地区の行政最高責任者に就任、マチュピチュの村昇格直後、1948年から2年間、村長を務め、1969年に現地で物故するまで、村初のホテル「ホテル・ノウチ」を開業したり、水力発電所を作ったりするなど村の発展に尽力した。
ホテルは初の大型木造建築でもあり、1階部分を交番や郵便局として無償で貸与、後に2階部分も村長室や裁判所として村のために提供し、ホテル・ノウチを中心に村が発展することとなった。
2015年、マチュピチュ村は、野内の故郷、大玉村と同村にとって初となる友好都市協定を締結した。
(Wikipediaより)

マチュピチュ遺跡 photo by Martin St-Amantマチュピチュ遺跡 photo by Martin St-Amant (S23678)

 

不勉強で恥ずかしいのですが、世界遺産のマチュピチュは知っていても、その発展に尽力したのが日本人だったとは知りませんでした。

口さがない秋篠宮批判の方々は、「公務と言う名の観光旅行」などと悪口を言っていますが、こういう機会に、日本人の偉大な軌跡を知ることができるのは、良いことだと思います。

そういった経緯があるなら、現地の方々は日本に親しみを感じていてくださるでしょうし、日系人の方々には、日本で生まれ育った一般の日本人以上に、皇族の訪問はものすごく嬉しいことなのではないかと思います。

三笠宮殿下のマチュピチュ遺跡訪問で野内氏の活躍が知られ

野内与吉氏の方々功績は、永らく日本でも知られないままでした。

ところが、1958年に三笠宮殿下がペルーを訪れ、マチュピチュ遺跡を見学した際に、与吉の長女オルガ野内が三笠宮殿下に花束を贈呈しました。

その事が日本でも報道され、日本にいる家族がその新聞記事を目にしたことで、与吉氏の消息を知ることになります。

そして日本大使館を通じて与吉氏と連絡をとり、旅費を集めたおかげで、1968年に与吉氏はは故郷である福島県大玉村に52年ぶりに帰郷することができたといいます。

日本に戻るよう家族は説得したそうですが、与吉氏はペルーには11人の子供たちが待っているからと、クスコに戻ってわずか2ヶ月後の1969年8月29日に息を引き取ったといいます。

こうして、生涯をマチュピチュの発展に貢献した日本人がいたこと、そして皇族の訪問がそのことを知るきっかけを与えてくれたことに、何か運命的なものも感じてしまいますね。