事件

[事件]「リベンジポルノ被害防止法」成立の契機となった三鷹ストーカー女子高生殺人事件を振り返る

三鷹ストーカー被害者の女性

 

3月、元交際相手の女性のわいせつな画像を、女性の知人らにメールで何度も送った男が逮捕された。

逮捕されたのは、堺市堺区の自営業、富松栄一容疑者(48)。

容疑は、私事性的画像記録提供(リベンジポルノ)被害防止法違反などの疑い。

画像は交際中の盗撮で、容疑者は、別れた腹いせに7カ月間にわたって繰り返し送信していた。

だが、この稿のテーマはその事件ではない。

私事性的画像記録提供(リベンジポルノ)被害防止法が2014年に成立するきっかけとなった東京都三鷹市の女子高生ストーカー殺人事件である。

今回はその事件を、振り返りたい。

☆☆☆

「誰か助けて」「嫌だ、嫌だ」

東京都三鷹市の閑静な住宅街に女子高生の悲痛な叫び声が響いた。

悲鳴をあげて家の外へ逃げる若い女性。

ナイフを手に追いかける若い男。

男は追いつくや女に切りつけ、返り血を浴びながらも何度も女を刺した。

犯人は、女子高生の鈴木沙彩さん(18)に復縁を執拗に迫ってストーカーと化した元交際相手の池永・チャールストーマスだった。

2013年10月8日に東京都三鷹市で女子高生が元交際相手の男に刺殺された「三鷹ストーカー殺人事件」である。

男は名門大学学生と偽って女子高生と交際

トラック運転手の池永が、元交際相手の鈴木沙彩さんにストーカー行為を繰り返した末の犯行だった。

駆けつけた近所の住民らは、救急車が到着するまで懸命に介抱したが、

彼らの願いは叶わなかった。

☆ ☆ ☆

2人が知り合ったのは、2011年10月頃だった。

関西在住の池永・チャールストーマスが東京在住の沙彩さんとFacebookを通じて知り合い、

同年12月から遠距離での交際が始まった。

皮肉にも、別の男性からのしつこい連絡に対して、相談に乗ったことがきっかけだった。

池永は、夜行バスに乗って、たびたび鈴木さんに会いに上京した。

沙彩さんの自宅に遊びに行ったこともあったという。

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彼女にふられた男はあきらめきれずストーカーに

三鷹事件の2人交際がうまくいっていた頃の2人

 

池永は、日比混血児(ジャピーノ)で、高校卒業後は、フリーターをしていた。

大阪市西区生まれで、大阪市西区の市立小学校を卒業。

地元の公立中学校に進学し、

2007年9月、中学3年の時に母親と一緒に京都市右京区に転居した。

後に京都の府立高校に進学し、180センチの体躯を活かし柔道部に所属。

在学中は近所のスーパでアルバイトをした。

高校卒業後に自衛隊に入隊するも、健康上の理由ですぐに除隊。

その後、京都の実家を飛び出し、大阪市東淀川区のマンションを借りて一人暮らしを始めた。

しかし、定職には就かず、 コンビニなどのアルバイトを転々としていた。

トラックの運転手をしていたが、南米ハーフで、関西の名門私大である立命館大の学生と偽って池永さんと交際を始めた。

卑劣卑怯な男である。

そんな奴だから嫌気がさしたのだろう。

約1年ほど交際していたが、沙彩さんは2012年9月頃、

海外留学する前に別れ話を切り出した。

お嬢様育ちの沙彩さん

三鷹ストーカー事件の被害者鈴木さん

鈴木沙彩さん(18)は、

現代美術画家の母親と映像関係の仕事に携わる父親の一人娘だった。

親は近くに土地を多く所有する資産家だ。

小学校は国立、中学からは私立のお嬢様学校に通っていた。

小学生の頃からタレントとして活動し、将来の夢は女優だった。

曽祖父は美術家の高松次郎、

大伯父は「北の国から」の脚本家・倉本聰、

ほかにも叔母・叔父・従兄弟・祖父母は、みんな画家、グラフィックデザイナー、建築家、音楽家などの芸術一家だ。

小学5年頃に芸能事務所にスカウトされ芸能界に入り、2010年公開の映画「冷たい部屋」(平田大輔監督)でスクリーンデビューした。

2012年4月放送のフジテレビ系ドラマ「浅見光彦シリーズ第44弾 砂冥宮」に出演。

同年、横浜国大教育人間科学部マルチメディア文化課程の卒業制作展に出品された短編映画「ガレージ・ドライブ」(斎藤亮太郎監督)にも出演している。

人を疑うことを知らない育ちの良い美しいお嬢様と

ウソをついてでも可愛い女性を手に入れようとする育ちの悪い男。

2人の育った環境は、余りにも違いすぎた。

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復縁が出来ないと悟った男は殺害を計画

2013年春、沙彩さんが留学を終えて帰国すると、池永は執拗に復縁を求めた。

池永の母親は、沙彩さんのタレント活動も踏まえ、

「立場が違いすぎるのだから、そっと彼女の夢を応援し、気持ちを尊重するように」

と諭したが、池永は聞き入れなかった。

沙彩さんは2013年6月から、携帯電話を着信拒否し、連絡を完全に絶つようになった。

復縁できないと悟った池永は、2013年夏から沙彩さん殺害計画を練りはじめた。

他人のモノになるなら殺してしまえという心理だったのだろう。

池永は犯行の3か月前、インターネットで刃物を購入して試し切りをした。

その1か月後には、自宅がある京都市内の図書館で人体の急所に関する本を読んだ。

また、大学の道場で知人を相手に、服で目隠しをした上で首を切り付ける練習をした。

押収された自宅のパソコンからは、

「犯行計画書」らしき文章が発見されており、

「準備するもの」として、ナイフや手袋、ロープ、バッグという物品名が列挙されていた。

当時アルバイト勤務していた運送会社を無断欠勤して行方をくらまし、

同年9月27日、居住していた関西から沙彩さんが住む東京へ高速バスで上京。

池永被告は事件当日の8日午前3時ごろまで東京・吉祥寺(武蔵野市)の漫画喫茶を利用。

その後、沙彩さん宅に向かい、16時ごろから同じ敷地内にある空き家の屋根の上に隠れ、約8時間後に沙彩さん宅に侵入した。

女子高生の部屋のクローゼットに潜んで機会を狙う

9月28日、武蔵野市吉祥寺の雑貨チェーン店『ロフト』で凶器となるペティナイフ(刃渡り13cm)を購入。

池永が、三鷹市の自宅のそばまで来ていることを知った沙彩さんは、

10月4日にストーカー被害を高校の担任教諭らに相談している。

学校側は近くの杉並警察署に電話で問い合わせ、

署の担当者はB女の自宅を管轄する三鷹警察署に相談するよう指導した。

10月8日午前にBは両親と三鷹署を訪れ、

「池永に待ち伏せされている」などとA男のストーカー行為を相談。

三鷹署の警察官はストーカー規制法に基づき、

沙彩さんが把握していたA男の携帯電話の電話番号に3回電話をかけたが、

池永が電話に出なかったため、折り返し連絡するよう留守番電話に入れた。

沙彩さんが帰宅した際、あいにく両親は仕事等の用事で外出しており、

自宅には沙彩さん1人だけだった。

池永は昼過ぎに沙彩さん宅2階の無施錠の窓から侵入し、1階にある沙彩さんの部屋のクローゼットに隠れ、

殺害の機会をうかがっていた。

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クローゼットの中から友人たちと無料通信アプリでやりとり

クローゼットに隠れながら殺害実行までの間、

無料通信アプリを通じて沙彩さん宅の電話番号とみられる番号を友人に告げ、

室内に誰かいないか確認する電話をかけるよう依頼したりした。

一方で、

「ふんぎりつかんからストーカーじみたことをしてる」

「そのつもりなかったけどなんやかんやで押し入れの中。出たいけど出られへん」

「三時間前のおれしね」

「あー無事にかえりたいよぅ」

「詰みだわ」

と心の葛藤が現れるかのような言葉を友人に送信していた。

道路に逃げる女子高生を執拗に追いかけメッタ刺し

16時53分、

池永は沙彩さんの部屋のクローゼットから出て、ペティナイフで沙彩さんを襲撃した。

池永は外に逃げた沙彩さんを道路まで追いかけ、首や腹に11カ所の刺し傷や切り傷をおわせた。

16時55分、路上で倒れている制服姿の沙彩さんが発見され、110番通報がされた。

18時30分、池永は三鷹市牟礼3丁目の路上でズボンに血痕があったことから警察官から職務質問された。

その場で事件への関与をみとめたため、殺人未遂罪で緊急逮捕された。

池永は襲撃から逮捕されるまで、友人や母親に携帯電話で殺害を実行したことを告げていた。

また、池永は、逃走中にインターネットの掲示板に書き込んでいた。

「被害者。無差別ではないです。恨みがありました。」

と書き込んでおり、 沙彩さんへの恨みがあったと主張。

一方、6月に沙彩さんの父親は池永に娘に連絡をしないでくれと通告している。

そして両親と一緒に三鷹署に相談に行ったその日の帰宅時に沙彩さんは襲われたのだった。

帰宅した際に三鷹署の署員と電話で話しており、

無事帰宅したことを16時51分に伝えていたが、事件が起きたのは電話を切った直後だった。

逗子ストーカー殺人事件を教訓に対策を強化した改正ストーカー規制法が5日前の10月3日から施行された矢先のストーカー殺人であった。

逮捕された池永は取り調べに対し、

「交際をめぐり恨んでいた。殺すつもりで刺した」

と供述した。

後に、犯人の池永・チャールストーマスは、立川拘置所で計5時間にわたり週刊文春のインタビューに応じた。

そのインタビュー中で池永被告は、いまだに引き摺る沙彩さんへの想いを饒舌に披瀝するものの、謝罪の言葉はなかった。

遺族のコメント

私達は今、苦しくて悲しい思いの中におります。
娘を大切に育てたつもりです。
娘を厳しく育てたつもりです。
そして、娘を守る決心をしておりました。
しかし、娘は旅立ち神様のみ許にまいります。
皆様にはご心配をおかけしておりますが、心配をして下さる多くの方のご協力とご理解を得て、今はただやすらかに天国に送ってあげたいと思っております。

Bは学校内の学業成績も優秀であり、英語コースで成績はトップクラスで海外留学をしており、死亡時は高校3年生で都内の大学の推薦入試を受ける予定だった。有名脚本家や有名現代美術家を親戚に持ち、母親も画家として個展を開くなど芸術一家の環境に育った。小学5年時に芸能事務所にスカウトされて芸能活動をしており、映画や民放ドラマにも出演していた。そのため、メディアは事件発覚当初は被害者を学業優秀で芸能活動をしている女子高生というかたちで報道していた。

出典:Wikipedia

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