ロック歌手で俳優のの内田裕也さんが2019年3月17日に逝った。
様態急変し逝く
ロック歌手の内田裕也さんが17日午前5時33分、肺炎のために、都内の病院で亡くなった。
79歳だった。
入院中だった裕也さんの体調は16日までは落ち着いており、見舞いに訪れた孫ら家族とも会話を交わし、昼ご飯にはオムライスを食べていたが、17日になって体調が急変したという。
裕也さんと故・樹木希林さんの娘でエッセイストの内田也哉子(43・ややこ)は、最期を看取ることができなかったという。
也哉子と俳優・本木雅弘(53)さんの長男でモデルのUTA(21・本名=雅樂=うた)は米国在住だが、日本に帰国していた。
18日午後3時前、自宅からほど近い裕也さんの自宅マンションに到着。
「裕也」と呼んでいた祖父と対面に訪れたようだ。
長女の也哉子さんの夫で、俳優の本木雅弘さんが18日、コメントを発表した。全文は以下のとおり。
仕事の予定がありロンドンに滞在中でした。訃報(ふほう)の連絡は妻(内田也哉子)から、英国時間で17日に日が変わった深夜に電話で知らされました。
最後に会ったのは3月10日です。前日アメリカから帰国した長男(UTA)と次男を連れて病院へ見舞いに行きました。
熱はありましたが、とても穏やかで、孫たちの話にも嬉(うれ)しそうに頷(うなず)き、現在放送中の私のCMについても「なかなか イイな」と褒めてくれました。
容体を見守る日々の中で、私も妻もどこかで覚悟はしておりました。
時代を切り開いてきた業界の先駆者を失(な)くしたという事においても非常に残念ですが、岳父として、常に紳士的に接してくれた事に、ただただ感謝しかありません。
内田裕也さんの不思議2つ
プロフィール
名前:内田 裕也(うちだ ゆうや)
本名:内田 雄也(うちだ ゆうや)
生年月日:1939年11月17日
出身地:兵庫県西宮市、育ったのは大阪府堺市
没年月日:2019年3月17日
職業:ロック歌手、ロカビリー歌手、ミュージシャン、俳優、脚本家、音楽プロデュサー映画監督
身長:174センチメートル
血液型:B型
出身校:大阪府立旭高等学校、日本大学法学部の夜学中退
部活:中学ではラグビー部、高校では野球部
デビュー:1959年に日劇ウエスタンカーニバル
内田裕也さんに対し不思議と思うことが2つあった。
ひとつはどうやって食っていたのか。(失礼!マルチに活動していた方なので、収入は結構あったのかもしれませんが、女優の島田陽子さんが貢いでいたし…)
もうひとつは、なぜ故・樹木希林さんと離婚しなかったのか。
その問題を解く鍵のひとつは女優の島田優子さんだ。
プロフィール
名前:島田 陽子(しまだ ようこ)
生年月日:1953年5月17日
出身地:熊本県熊本市
血液型:O型
身長:171cm
出身校:駒沢学園女子高等学校
デビュー:「おさな妻」
代表作:テレビドラマ「続・氷点」、映画「ショーグン」

Wikipediaの島田陽子さんに関する記述にはこうある。
ロック歌手・内田裕也と不倫交際し、内田に貢ぎ続けて多額の借金をつくる。
1988年、ハワイのコンドミニアムで内田裕也と不倫密会をしている写真を写真週刊誌『フライデー』に掲載される。内田裕也は島田と結婚するために別居している妻・樹木希林に離婚を申し入れたが樹木は拒否。内田は役所に離婚届を提出したが、樹木は離婚無効の訴訟を起こして勝訴し、内田と離婚しなかった。そのため、島田は内田と結婚することができなかった。
また、内田さんに関するWikiにはこうも記されている。
映画『花園の迷宮』で共演した島田陽子と不倫していたが後に破局(DVもあった)。さらに内田が1991年東京都知事選挙に出馬した際、島田は内田に選挙カーを提供するなどの支援をしたが、この際方々から数億ともいわれる膨大な借金をし、破局後それに関するトラブルを多数引き起こしてしまい、現在に至るまで尾をひくこととなり、女優としてのキャリアに大きく影響した。
この選挙では、メディアから「売名出馬の泡沫候補」と批判され、結果的には落選。しかし、無所属(政党推薦候補除く)ではトップの票(5万4654票、16人中5位)を獲得した。
この後、二人は別れ、島田さんは1994年(41歳)、2歳年下のテレビの照明技術者で妻子のいた米山仁さんと、2年間の同棲を経て結婚した。

1981年、内田が無断で離婚届を区役所に提出するも、樹木は離婚を認めず、離婚無効の訴訟を起こし勝訴した。その後は1年に1回連絡を取り合う程度の関係となったが、2005年1月、乳がんが判明して摘出手術を受けたことを機に連絡は1か月に1回となり、以降毎年1月は一緒にハワイで過ごすようになったという。
内田裕也さんと樹木希林は内田さんのDVが原因で別居したらしいが、口には出さずとも樹木希林さんの内では「愛」が持続していて、離婚に応じなかったのかもしれない。
内田裕也さんは、2017年11月には脱水症状を起こして緊急入院。
2018年は怪我や病気が続き、自身が主催する恒例の年越しライブ「New Years World Rock Festival」では2017年、18年と、車椅子での出演となった。
2018年9月15日に妻の樹木と死別。
その約半年後となる2019年3月17日5時33分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。
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青春時代に訪れた転機
元来、真面目な学生だったが、エルヴィス・プレスリーに憧れたことで学校をドロップアウトし、旭高等学校を退学し、1956年、大阪府立三国丘高等学校に転校。
1957年、同高校卒業後、日本大学法学部の夜学中退。
バンドボーイとして音楽生活を開始し、間もなく佐川ミツオ(現・佐川満男)とともにバンドボーイ兼ヴォーカルとしてロカビリーバンドのブルー・キャップスを結成した。
1958年、自身がバンドマスターのブルージーン・バップスを結成。メンバーには美川鯛二(後の中村泰士)、北原謙二などがいた。
1959年、大手芸能事務所である渡辺プロダクションに所属し、同年に日劇ウエスタンカーニバルに初出場。
1960年、かまやつひろしなどとサンダーバードへ参加するが、ジャズ志向が強いバンドであったため脱退し、山下敬二郎とレッド・コースターズ、田川譲二とダブル・ビーツなどのバンドを渡り歩く。
1962年、寺内タケシとブルージーンズにヴォーカリストとして参加。
1963年、恩地日出夫監督の『素晴らしい悪女』に映画初出演。
1965年に公開の『エレキの若大将』には、勝ち抜きエレキ合戦の司会者役で出演。
以後、マルチに活躍するようになった。
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▽Twitter 内外から追悼のツイッター
先程悲報に接し、とても驚いています。
裕也さんには、コラボレーションをした際にたくさんのことを教えていただき…そしてコンサートを盛り上げてくださったこともありました。楽しい思い出ばかりです。
心よりご冥福をお祈りいたします。
— 指原 莉乃 (@345__chan) March 18, 2019
40年以上別居していたり、内田裕也が新居に襲来した時、樹木希林がやっちまえ!と言って本木雅弘にタックルさせ、希林が鉄パイプで殴りかかってボコボコにしたという激しい逸話もあるほどロックな夫婦だったけど、晩年は穏やかだったし、今頃ふたりでとてもいい会話をしてるような気がする pic.twitter.com/E4NUDaEmoF
— Emiko (@Emiko_blossom) March 18, 2019
内田裕也さんが亡くなられました。近田さんとは繋がりが深かったので何度かご一緒しました。世間では怖いイメージを持つ方もいるかもしれませんがジューシィ・ハーフの頃、久々にお会いした時は、カッコよくて優しい好々爺という印象でした。
希林さんの元で安らかに。心よりご冥福をお祈り致します。 pic.twitter.com/YqaXXx7vyP— IRIA (@IRIATSUKO) March 18, 2019
内田裕也氏はフランク・ザッパの唯一の来日公演(76年)を実現させた物凄い男なので尊敬しています。 pic.twitter.com/b69R8V2U1Q
— Lo-Fi Club (@kukkuru) March 18, 2019
内田裕也死去。80年代日本映画の異端。日本都市型の鬱屈と孤立を実感的共感的に最も体現し得た人。狂気の淵から正気の悶え声を響かせ、攻撃性と自己破壊性、居直りと純粋、身勝手と優しさをくそ食らえとばかりに共存させた。『コミック雑誌なんかいらない』『水のないプール』等に今様の安全無難はない pic.twitter.com/ZftAZhQhPP
— watabe gen (@geeen80) March 18, 2019
内田裕也と樹木希林の若い頃の写真、いつまでも見ていられる。 pic.twitter.com/WqyRq7nFrD
— まことぴ (@makotopic) March 18, 2019
内田裕也といえばビートルズ来日公演でこーーーんな超特等席で座って見てた人、です。隣は尾藤イサオ。 #日本武道館 https://t.co/iEB0f0dfdl pic.twitter.com/cpsv09697y
— 青木る(えか) (@daikix) March 18, 2019
Goodbye to my friend Yuya Uchida 内田 裕也 who passed away today at age 79 in Japan. A true rock legend, he founded the Flowers and 1815 Rock N Roll band. My friend Yuya got me my first big solo contract with Watanabe Productions in 1969 when I lived in Tokyo. RIP Yuya-san. pic.twitter.com/3SLCSj8PmG
— Alan Merrill (@TheAleecat) March 18, 2019
RIP legendary Japanese rock and roll rebel Yuya Uchida of Flower Travellin’ Band fame and many strange celebrity appearances. He was 79. #内田裕也 pic.twitter.com/4pNto62xva
— Patrick Macias (@Patrick_Macias) March 18, 2019
樹木希林さんと内田裕也さんの若かりし頃のファンキーすぎるこの画像最高に好きでした。合掌。 pic.twitter.com/nmC912McNj
— τªg❂⇄$$$$$$$ü¢¢㏍ (@T9494) March 18, 2019
【R.I.P】僕が生前からお世話になっていた内田裕也さんがお亡くなりになりました。こんな僕のライブや舞台など、ことあるごとに顔を出してくれて気にかけてくれる、怖くて優しい先輩でした。先立った戦友達がたくさん待ち構えてると思うので、思う存分喧嘩しながらおいしいお酒を嗜んできてください。 pic.twitter.com/osyVEmKd59
— 美勇士 (@myuji69) March 18, 2019
Japanese rock-and-roller Yuya Uchida 内田裕也 (1939-2019) has died. He was arguably more famous for his album cover art and bombastic personality than for any of his actual music. pic.twitter.com/4RmXvuIrsC
— W. David Marx (@wdavidmarx) March 18, 2019
アルバム
ロック・サーフィン・ホット・ロッド(尾藤イサオ+内田裕也)(1964年)
レッツ・ゴー・モンキー(尾藤イサオ+内田裕也)(1965年)
Challenge!(内田裕也とフラワーズ)(1969年)
ロックンロール放送局(Y.U.Y.A 1815KC ROCK’N ROLL BROADCASTING STATION)(1973年)
エキサイティング! ロックンロールパーティ(内田裕也と1815スーパーロックンロールバンド)(1973年)
HOLLYWOOD(内田裕也 & ザ・ヴェンチャーズ)(1975年)
ア・ドッグ・ランズ(1978年)
さらば愛しき女よ(1981年)
NO MORE COMICS(1985年)
出演作品
テレビドラマ
ザ・ガードマン(1966年、大映テレビ室・TBS)第87話「檻の中の女」
三匹の侍 第5シリーズ 第5話「獣」(1967年、フジテレビ) – ふうてんの仙太
七人の刑事(1978年・TBS)第28話「悲しきチェイサー」
翔んでる警視(1986年・TBS)
スターライト・キッズ 新・北斗七星伝説(1988年・TBS)
美少女新世紀 GAZER(1998年・テレビ朝日)第4話・第5話
警視庁捜査二課・郷間彩香 特命指揮官(2016年) ‐ 伊藤重太郎
映画
素晴らしい悪女(1963年)
エレキの若大将(1965年)
クレージーだよ奇想天外(1966年)
お嫁においで(1966年)
パンチ野郎(1966年)
リオの若大将(1968年)
コント55号 世紀の大弱点(1968年)
恋のつむじ風(1968年)
昭和元禄 TOKYO・196X年(1968年)
ザ・タイガース 華やかなる招待(1969年)
ドリフターズですよ! 特訓特訓また特訓(1969年)
ドリフターズですよ! 全員突撃(1969年)
野蛮人のネクタイ(1969年)
キャロル(1974年)
炎の肖像(1974年)
不連続殺人事件(1977年)
実録不良少女 姦(1977年)
新宿乱れ街 いくまで待って(1977年)
最も危険な遊戯(1978年)
エロチックな関係(1978年)
桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール(1978)
餌食(1979年)
スーパーGUNレディ ワニ分署(1979年)
夢一族 ザ・ライバル(1979年)
赤い暴行(1980年)
少女娼婦 けものみち(1980年)
ヨコハマBJブルース(1981年)
無力の王(1981年)
嗚呼! おんなたち 猥歌(1981年)
水のないプール(1982年)
コールガール(1982年)
さらば相棒(1982年)
十階のモスキート(1983年)
戦場のメリークリスマス(1983年)
ハンガー(1984年)
コミック雑誌なんかいらない!(1986年)
『キネマ旬報賞』主演男優賞、『報知映画賞』主演男優賞、『毎日映画コンクール』脚本賞[注釈 1]
さらば愛しき人よ(1987年)
花園の迷宮(1988年)
座頭市(1989年)
ブラック・レイン(1989年)
魚からダイオキシン!!(1992年)
エロティックな関係(1992年)
共犯者(1999年)
修羅のみち2 関西頂上作戦(2002年)
実録・安藤昇侠道伝 烈火(2002年)
すてごろ 梶原三兄弟激動昭和史(2003年)
赤目四十八瀧心中未遂(2003年)
IZO(2004年)
ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム(2004年)
JOHNEN 定の愛(2008年)
星くず兄弟の新たな伝説(2018年)
引用元:Wikipedia


