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[皇室]天皇・美智子さま「世紀の結婚」から60年! 織田和雄さんが取り次ぎ、電話でプロポーズの秘話

 

2019年4月10日、天皇、皇后両陛下はご結婚から60年を迎えられました。

それまでの、旧皇族・華族出身から妃を選ぶという慣習を破り、美智子さまは初の民間妃として皇室に上がりました。

「軽井沢の恋」と日本中がわいたご結婚のプロポーズは、電話でだったそうです。

「世紀の結婚」の舞台裏

「イエスと言ってください」。

皇太子だった24歳の天皇陛下は、皇后さまに電話でそう言って求婚したー。両陛下のテニス仲間で、お二人の電話を取り次ぐ橋渡し役をした織田和雄さん(83)が、60年前の「世紀の結婚」の舞台裏を振り返った。(時事通信社)

『天皇陛下のプロポーズ』(小学館)を2019年2月に上梓した織田和雄さんは、天皇陛下から美智子さまへの電話を取り次ぎ、恋のキューピッド役を果たしたといいます。

織田さんは天皇陛下より2年後輩ですから、当時22歳。

織田さんもかなりドキドキされたかもしれませんね。

織田和雄(おだ・かずお) 
昭和10年11月2日、日本人初のオリンピック金メダリスト・織田幹雄の次男として生まれる。
中等科2年から高等科、大学まで学習院に通い、天皇陛下の2歳後輩。
大学卒業後は、慶應義塾大学大学院などで学んだ後、三菱商事株式会社に入社。
定年後は、関東テニス協会副理事長、東京都テニス協会副会長などの要職を歴任。

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「テニスが生んだ恋」in軽井沢

天皇・皇后両陛下が出会ったのは、1957年8月、長野県軽井沢町で開かれたテニストーナメントでのこと。

準々決勝に進んだ当時皇太子だった天皇と大学生のペアを、なんと外国人少年とペアを組んだ美智子さまが打ち負かしてしまったそうです。

皇太子だからといって手加減したりしない、美智子さまの公正で堂々とした性格が垣間見えるエピソードですね。

(気が強い、とご結婚を反対された方も周囲にいらっしゃったそうですが、気が弱くちゃ、民間から皇太子妃なんて務まりませんよ)

「あんなに正確に粘り強く打ち返してくるのだから、かなわないよ」。試合後、織田さんにそう話した陛下は、意外にもさわやかな表情だった。ペア相手を励まし、辛抱強くチャンスを待つ皇后さまのプレーを見て、民間人から皇太子妃になる重圧に耐えられる女性だと直感したのではと、織田さんは推察する。(時事通信社)

天皇も、負けて悔しいというより、美智子さまの粘り強さや美しさに、すっかり参ってしまったのでしょう。

当時、民間から皇太子妃に上がるのは前例のないことでしたから、美智子さまも最初はあまり乗り気ではなかったようです。

けれど、1958年11月8日の夜、天皇陛下は美智子さまにプロポーズ。

「公的立場があり、守り切れないかもしれない」と率直に伝え、それでも「イエスと言ってください」と訴えられたといいます。

美智子さまはその誠実な態度に打たれ、心が動いたとのちの告白されています。

令和天皇、徳仁さまのプロポーズ

そういえば、まもなく令和天皇となる徳仁さまが雅子さまにプロポーズされたとき、天皇陛下同様に何度も電話をかけ、拒んでいた雅子さまの心を動かしたと報道されました。

気楽にお会いして言葉をかわすことが難しい皇室の方々にとって、電話は便利なツールなのでしょうね。

今なら、LINEやSkypeもありますね。

「ミッチーブーム」の裏で「粉屋の娘」と陰口

それにつけても、徳仁さまはともかく、天皇陛下が電話攻勢で美智子さまにプロポーズした1958年は、まだそれほど電話が普及していなかったのでは? と思います。

どんな時代に電話ができたのは、皇室はともかく美智子さまも日清製粉グループ会長の正田英三郎さんのお嬢様で、やはり裕福にお暮らしだったのかと思います。

良い縁談もたくさんあったと思いますが、何かと制約の多い天皇家に嫁ぐのは、不安も大きかっただろうと想像します。

1959年に婚約され、日本中が「ミッチーブーム」に沸いたそうです。

美智子さまがヘアバンドをされていたことから、「ミッチーバンド」が流行したとか。

けれど、「なぜ皇室に粉屋の娘が」と陰口を言う人もいたそうですから、美智子さまの受難はさっそく始まっていたんですね。

そこを乗り越えて、天皇陛下を60年支えてこられたのは、やはり、天皇陛下が見抜かれた、「粘り強さ」と芯の強さゆえだったと思います。

「守りきれないかもしれない」という誠実さ

ところで、平成天皇は、「公的立場があり、守り切れないかもしれない」、それでも、とプロポーズされました。

令和天皇となる徳仁さまは、「僕が全力でお守りします」とプロポーズされました。

私は、似ているようで、全く違う意味の言葉だと思います。

美智子さまは、公的立場を最重視する天皇陛下に誠実さを感じ、プロポーズをお受けになりましたが、雅子さまはどうだったでしょう。

同じことを言われたら、結婚されないかもしれませんね。

徳仁さまは、ご結婚後、ずっとこの「全力でお守りします」という言葉に縛られてきたように思います。

天皇の公的立場が、ここで揺らいでしまったのではないかと。

今後は上皇、上皇后して

とにもかくにも、まもなく平成はおわり、平成天皇は退位して、徳仁さまが令和天皇となられます。

雅子さまは皇后になられますが、未だ静養が必要と言われています。

平成天皇はご高齢による異例の生前退位をされることになりましたが、もしかしたら、天皇陛下も徳仁さまが天皇になり雅子さまが皇后になった後が心配なんじゃないかな?

ご自身がお元気なうちに、上皇、上皇后として新天皇皇后を見守りたいと思っていらっしゃるのではないかな? 思います。

私の勝手な想像ですけれど。

 

 
 
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