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バックギャモンの世界王者は「がん」とも同時に戦って勝利した日本人女性・矢澤亜希子さん

写真データ元:公式フェイスブック

プロフィール
名前:矢澤 亜希子(やざわ あきこ)
生年月日 : 1980年11月19日
出身校 :明治学院大学法学部
職業 : プロバックギャモンプレイヤー。日本人3人目の世界チャンピオン
出合い : バックギャモンとの出合いは2001年 、大学在学中に、スキューバダイビングのために訪れたエジプトの街のカフェ

競技人口3億人の頂点

欧米や中東など世界の競技人口は3億人ともいわれている人気ゲーム「バックギャモン」。

2個のサイコロを振り、出た目に従って自分の15個のコマを動かしていく。

一見「すごろく」と似ているが、相手の進行を妨害することもできるため、偶然の要素が強い「すごろく」とは違い、「バックギャモン」は相手の次の一手を読む戦術性が濃厚だ。

世界的にはチェス、トランプ、ドミノと並び世界4大ゲームといわれており、中には賞金総額が1億円を超える大会もあるという。

そのゲームで2度の世界チャンピオンに輝いた矢澤亜希子さん(38歳)はアジア人女性として初めてバックギャモンの世界一になり、「インターナショナル・プレイヤー・オブ・ジ・イヤー」にも選ばれた。

矢澤さんは、2014年および2018年の世界選手権(モナコ公国・モンテカルロ)のメイン種目で優勝し、日本人初、そして国籍に関係なく女性初となる2度目の世界チャンピオンとなった。

だが、その道程は決して生易しいものではなかった。

プロとして活躍中に「ステージIIIc」の子宮体がんに罹っていることが判明したのだ。

医師に「手術しなければ1年もたない」と余命を宣告され、結婚して子どもを産むという夢はついえた。

悩んだ末に子宮、卵巣、卵管、リンパ節を切除。

抗がん剤投与を受けながら、医師の反対を押し切り2013年冬に単身渡米、翌14年、苦難を乗り越え、アジア人女性初のバックギャモン世界一に輝いた。

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バックギャモンとの出合いはエジプト

矢澤さんとバックギャモンとの出合いは、明治学院大学法学部に在籍していた2001年。

3年生のときに旅行先のエジプトで街のカフェに入ると、必ず不思議なボードが1台ずつ置いてあることに気づいた。

男たちがボードを取り囲み、夢中で興じていたゲーム、それがバックギャモンだった。

その時はプレーをしなかったが、帰国後、ルールを調べてネットで遊んでみた。

購入したWindows PCにバックギャモンのゲームソフトが入っていたのので、ネットで上級者の試合を観戦し、勝率の高いプレイヤーの対戦をひたすら見て研究した。

そして「正解の手が分かる4万円の解析ソフトを買った」

普段は高いものは買わないが、買う価値のあるものにはお金を使うのだという。

昔の人は正解が分からない中、手探りでやっていたので強くなるまでに、とても時間がかかったのだという。

それがAIを使えば、始めたばかりの人でもすぐに強くなることができる。

「AIは『世界最強の先生』だと思っています」

2003年1月には、実際に人と対戦できる東京・新宿の店に出かけた。

そこで後に日本人初の世界チャンピオンになる望月正行さんと出会う。

実際にプレイしてみると、なんと第1戦目で望月さんに勝ってしまった。

すると望月さんから彼が教えている東京大学のバックギャモン研究会への参加を誘われた。

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同会には、東大医学部卒で後の2011年に世界チャンピオンになる鈴木琢光さん、後に日本将棋連盟七段の片上大輔さん、2012年にポーカー世界チャンピオンになる木原直哉さんらがいた。

2003年11月、ラスベガスオープンの初級クラスに参加し準優勝を果たした。

初めての大会参加が海外のメジャートーナメントであったが準優勝に終わったことの悔しさから本格的にのめり込んだ。

翌2004年12月、日本5大タイトルの1つである盤聖タイトルを獲得。女性初の日本タイトルを獲得し話題を集めた。

海外で実施される試合の飛行機代、宿泊費、大会参加費は自腹のため、大学4年生のときから任天堂のショールームに契約社員の職を得た。

海外の大会に出るには、自由に休みが取れる必要があったからだ。

任天堂はボードゲームやアナログゲームを開発していたこともあり、矢澤さんの活動に理解を示してくれたた。

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3年間の原因不明の体調不良の末「子宮体がん判明」

写真データ元:公式Twitter

2009年に結婚。

だが08年ころから痛み止めを飲まないと歩けないほど、体調不良が続いていた。

とうとう仕事もバックギャモンも中断せざるを得なくなった。

後から思えば、とうに子宮体がんだったのだろうが、何度診察をしても見つからなかった。

研究会仲間で医師の鈴木琢光さんが2011年に世界チャンピオンになった。

医師の激務と両立させつ、達成した鈴木さんの偉業に触発され、競技に戻る決心をした。

ところがその矢先の2012年、余命1年の子宮体がんであることが判明した。

医師からは「手術しなければ1年もたない」と言われた。

長らく続いた体調不良ゆえ、自分で調べたがんの症状と、自分の症状が似ていたので、診断結果は想像はしていた。

夫には「本当に申し訳ない」と思った。

しかし、一度自分で決めたバックギャモンだけはやり遂げたい。

悩んだ末、子宮、卵巣、卵管、リンパ節を切除した。

「体調不良を理由に何もしないわけにはいかない」という信念のもと、癌の発覚後も治療の合間を縫ってテキサスとモンテカルロの大会に出場し、両大会で優勝を果たす。

闘病を続けながら大会に参加し続けるという生活が始まった。

そんな中、2012年7月、世界選手権(モナコ公国・モンテカルロ)のスーパージャックポットで優勝する。

このころから世界最強の女性プレイヤーと呼ばれ始めた。

同年10月の日本選手権ではメイントーナメント準優勝およびスーパージャックポット優勝を果たした。

しかし、治療の副作用でまともな思考が出来ない。

髪の毛は抜け、吐き気や痛みもひどかった。

2013年1月、 癌の治療中にドクターストップを振り切って渡米し、テキサスバックギャモンチャンピオンシップのDual-Duelで優勝。

Dual-Duelは、ゲームの勝敗と解析ソフトによる手筋の評価(パフォーマンスレーティング)とを勝敗に取り入れた大会形式であり、サイコロの出目による運の要素を少なくし実力がより反映される。

2013年8月、 世界選手権(モナコ公国・モンテカルロ)のスーパージャックポットに優勝し、同タイトル史上初の連覇を達成する。抗がん剤治療中の大会出場であった。

抗がん剤治療は2013年の9月まで続いた。

「死ぬことも覚悟しました。医師には反対されましたが、米国で武者修行にも挑みました。『命の期限』を自分の中で意識したときに、バックギャモンで世界チャンピオンになって『生きた証を残したい』と思ったのです」

抗がん剤治療の副作用による頭髪脱毛のため、2013〜2014年はヘアウィッグを着用して海外大会を転戦していたが、海外においては最先端のファッションとして高評価を受け、たびたび雑誌等に紹介された。

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日本人として3人目、アジア人女性として初めての世界チャンピオン

2014年8月、世界選手権(モナコ公国・モンテカルロ)のメイン種目で優勝し、日本人として3人目(日本人女性として初)、アジア人女性として初めての世界チャンピオンとなり、賞金650万円を獲得した。

決勝戦は1試合8時間にも及ぶ過酷な戦いだった。

2018年7月23日に放映されたテレビ朝日系の番組「激レアさんを連れてきた。」に出演。

癌からの回復の目安となる5年を、2018年3月で経過し、また予後も快調である旨が医師からなされた。

その際、夫である矢澤広伸がお祝いとして食事に連れ出したが、亜希子本人は手術から5年経過した旨を、夫から指摘されるまで気づいていなかったという。

2018年8月、 世界選手権(モナコ公国・モンテカルロ)のメイン種目で優勝し、日本人初、そして国籍に関係なく女性初となる2度目の世界チャンピオンとなった。

幼い頃は新しいことに挑戦しない性格だったため、あるときに自ら「1年に10回新しいことに挑戦する」という目標を立て、それ以来、途切れず実践したという。

バックギャモン世界チャンピョンの座を獲得出来たのは、その成果かもしれない。

主な戦績(Wikipedia)

* 女性として日本タイトルを初めて獲得(2004年第11期盤聖戦優勝)
* 同一大会で5種目決勝進出(2012年4月欧州選手権)
* 世界選手権のスーパージャックポット連覇(2012年-2013年)
* 女性初のバックギャモンジャイアンツに選出(2013年)
* 日本人女性初の世界チャンピオン(2014年)
* 同一年に2つのメジャータイトル優勝(2014年。世界選手権・ラスベガスオープン)
* ラスベガスオープンのチャンピオンシップ連覇(2014-2015年)およびチャンピオンシップ・スーパージャックポットのダブル優勝(2015年)
* 国内同一タイトル獲得回数新記録(盤聖位・4回)
* 日本人初かつ国籍関係なく女性初の世界選手権2回優勝。(2018年)